第21話・Cry for the moon



「ばかやろぉ〜」
 情けなくも、もの悲しい男の叫びが月に向かって放たれたのは十三夜の月夜のことだった。


「月に向かって叫ぶのと、海に向かって叫ぶのと、どっちがポピュラーなんでしょうかね」
 南部のつぶやきにも近い問いかけに顔を向けたのは土方だった。
「いきなり、どうした?」
「いえ・・・失恋男としてはどこ向いて叫ぶ姿が一番相応しいかと思いまして・・・」
 失恋とはあまり縁がなさそうな男の話に土方もキョトン。
 なにしろ南部は実家が実家なので玉の輿狙いが山ほどいる。フることはあってもフラれることはないだろう、というのが周辺の一致した意見である。
「司令はどちらでした?」
「叫ぶようなハメになったことはないのでわからんな・・・ああ、沖田はよく月に向かって叫んでいたが」
「そうなんですか?」
「藤堂は時々ふらりと海を見に出かけていたな。・・・フられた後には」
「・・・土方君、あることないこと言いふらすのはよしたまえ」
 当然の事ながら土方の背後には藤堂の姿があった。
「事実しか話してないぞ」
 ぬけぬけと、そして平然と言い返す土方である。もちろん藤堂も反撃に出た。
「どこが事実だ。そもそも私が海を見に行ったのは彼女を連れてのことであって、失恋した後のことではない!」
「還ってくると必ず落ち込んでいた奴が何を言う」
「それはおまえだろうが!」
 南部がふたりからわずかに距離を置きながらも耳と目は離さなかった。
 現在の地球防衛軍最高幹部ふたりの低レベルな言い争いなど滅多に見られるモノではない。思わず記録しておいてあとで酒の肴にしてやろうかとも思ってしまった。
「しかも沖田が月に向かって叫んでいたのは彼女が月に引っ越したついでに振られたのが原因だったろうが」
「その後も何度か叫んでたぞ?まさか毎回月に取られたわけではなかろうに」
「半分はおまえが取ったんだろうが。何度ケンカしたかも忘れたのか?」
 その度に仲裁に借り出された俺は忘れとらんぞ、の藤堂であるが、土方がそれくらいで黙るはずはない。
「俺が獲ったわけではない。相手が勝手に言い寄ってきただけだ」
「それを食ったのは間違いない事実だろう」
 それなりに『男として正しい』青春時代を送っていたのね、と思いつつ聞き耳を立てたままの南部以下の周辺連中。
 土方司令は今も昔も遊び人だったわけか、と了解。
「据え膳食わぬは漢の恥だろうが」
 俺だって沖田に食われたことがあるわい、と言い返す土方である。
「発進3分前です。着席・ベルト着用願います」
 シャトル内部に流れた放送にふたりの言い合いがひとまず終了を迎えた。

「失恋したときの叫ぶ目標?」
 訊かれた真田が呆れかえった。
「おまえな、質問は相手を選んでからにしろ」
「・・・いえ、真田さんは叫んだことなくても、周囲の状況は観察していたんではないのかと思いまして」
 南部の言葉にそれはまぁ・・・の真田。
「幕の内は叫ぶよりヤケ食い派だったし・・・古代は・・・月派か。海に叫んでたようなヤツは・・・ああ、いたいた。加藤だ。あいつと古橋は海派だったな」
「加藤?って一郎さん?」
 南部の知っている加藤といえば戦闘機乗りの三郎と四郎であるが、真田はそのふたりの兄貴である一郎と同期だったと聞いている。
「そう。巡洋艦乗りの加藤一郎。あいつは学生時代からミサイル屋を目指していたからな。『そのうち着任する場所に叫ぶのは気が引ける』とかいって海に向かって叫んでた。古代はわざわざ出かけるのが面倒だったのか窓から月を見上げて怒鳴ってたな」
 やっぱりしっかり観察して記録してるんじゃないかと思う南部である。
「・・・志郎君、嘘を並べるのはよしたまえ」
 もちろん、真田の後には古代守が立っていた。
「俺は叫ぶようなハメになったことはない!」
「ミエを張るな」
 すかっと真田が言って返す。
「叫ぶ以前の貴様にだけは言われたくないぞ!!」
「俺は無意味な恋愛をしてないだけだ!」
「それよりなんだってそんなこと訊いて回ってるんだ?」
 始まったケンカを無視して山崎が訊くといえそれが、の南部。
「どうも振られそうなんで、その準備を・・・と思って」
「は?」
 思わず聞き返した山崎に言いにくそうに苦笑した南部である。
「まぁ予定通りっちゃ、予定通りなんですけどね・・・相手が深窓の令嬢の見本みたいなお嬢様っていうか、ダブルロック付きの金庫並みの箱入り娘っていうか・・・」
 それだけ聞けば了解してしまった山崎である。
「フるわけにいかないから、向こうからお付き合いを断ってもらうつもりがなかなかいい娘だったんで後悔してるってわけか」
 ははははは・・・と力無く笑う南部の横ではまだ真田と古代がじゃれあっていた。
「いい娘なんですけどねぇ・・・これ以上深みにハマると親父とお袋がニコニコ笑って軍の退官手続き始めそうなんで」
「難儀だな、おまえさんも」
 この御時世に深窓の令嬢、なんてモノがまだ存在していたのかと思うのは山崎が極めて一般人である証拠である。
「ま、カタがついたら自棄酒くらい付き合ってやるから、叫ぶのはその後だな」
「よろしくお願いします。で、山崎さんはどっち派なんです?」
「・・・叫んだことがないんだよ」
「はい?」
「ワイフと知りあう前は遊んでられるほどのヒマがなくってな」
「すみません、蹴飛ばしていいですか?」
「ダメ」
「南部君、そういう時には不言実行が男の嗜みってものだぞ」
 声と同時に後方から飛んできた古代の蹴りはひょいと避けた山崎をかすめて南部を直撃した・・・

「で、どっち向いて叫ぶことにしたんだ?」
 島に訊かれてそうだなぁ。
「・・・今日は天気もいいし、英雄の丘行って叫ぶわ。あそこからなら海と月と両方いっぺんに目標にできるだろうし」
「贅沢なこといってんじゃない!」
 と言いつつも酔っぱらいをひとりで行かせてすっころんで病院送りという結末も後味が悪そうなので付きあってやるというのだからお人好しである。
 自棄酒をあおらせ、ほどよく酔っぱらったところを見計らって正気を保っていた真田と島が一同まとめて車に押し込み、英雄の丘へと連行した。
 時計はそろそろ夜中だよ、と教えてくれている。十三夜の月もそろそろ天頂にさしかかるところだった。
 周囲を見回して自分達以外の人影がないことを確認してから真田がうなずいてOKを出した。
「おし、叫んでいいぞ」
「ほら、ちゃんと立てよ!仰け反ってコケるなよ!」
 支えていた島が離れる。
 しっかと月を睨み上げ、南部がすうと息を吸い込んだ。
 そして・・・


「ところで真田さん」
 島が疲れ果てた声をかけたのはその場で再び始まった宴会が終わりかけている時だった。
「・・・なんで俺達がここまで面倒みないといけないんでしょうか」
「放置して帰ってもいいが、どのみち二時間以内に警察から引き取り要請が来るだけだからだ」
 溜息と共に肩を落として真田が答えた。
「・・・古代参謀はともかく、他の連中には立派に家族がいると思うんですが・・・」
「本気でその理屈が通じると思うのか?」
「・・・ですね」
 ふたりのまわりには酔っぱらって喚いているのが二名、すっかり寝込んでいるのが二名、寝込んでいるのにすがって理由もなく泣いているのが一名、同じく意味もなく真田の背中に抱きついて大笑いしているのが一名いた・・・
 真田が月を見上げた。
 月はまだ天頂を過ぎて傾きかけたばかりだった。
「・・・俺達も、叫ぶか」
「そうですね」
 せめてもの精神衛生のためにはそれが必要だろうと島も思ったのだった・・・


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